03-04
2011
人形劇の脚本
「プロの人形劇とは…」シリーズ。今日は、「人形劇の脚本」について考えてみたいと思います。
と言っても、学者や評論家さんのように、大所高所から考えようというのではありません。私(あかぱんつのメンバー「ユクト」)が経験したり実践したり考えたりしていることを書いてみようと思います。
人形劇の脚本は、童話や昔話・絵本などから、台詞を書き出せばできるというわけにはいきません。また、元のお話そのものを読んで、それに合わせて人形が演技をする…というのも、私はちがうように思います。読むお話にはその魅力がありますから、まるでお話を読むように演じる人形劇というものも考えられるとは思いますし、それだって人形劇ではありますが、「よい人形劇」とは言えないと思います。
「よい人形劇」というのは、人形劇の楽しさが感じられるものだと思います。人形劇の楽しさは、ただ人形が出るだけではなく、人形が見ている人にとって魅力的に動くものだと思います。
ですから、もしも、元のお話を読んでそれに合わせて人形が演技するとしても、その演技が魅力的なものでないと「プロの人形劇」とは言えないのではないでしょうか。
人形劇も劇である以上、脚本がなければ始まりませんが、その脚本には、人形劇の楽しさが詰められている必要があります。
今「脚本がなければ始まらない」と書きましたが、実は、脚本なしで人形劇を始める方法もあるのではないか…と思うのです。
指人形などの人形を動かして遊ぶ「お人形さんごっこ」で、お互いに人形を動かし会話をしてその世界にひたることがあります。これも「人形劇(ごっこ)」だと言えます。
もしもその人形劇に、<お金を払ったお客様>に喜んでいただけるほどの魅力があったら、それは、立派にプロの人形劇です。
実は、あかぱんつでも、そんな風に「ごっこ」的な劇作りをすることがあります。すでに人形もあり、その人形のキャラも決まっていて、ストーリーも太いところが決まっている。でも、人形劇というのはストーリーだけではありませんから、人形の動きを工夫したりふくらませたりすることもありますし、場合によっては、人形の動きだけで全く新しい場面を作るというようなこともあります。動きを考えるのは、実際に人形を持って動かしながら考えるのが有効なので、パソコンに向かって脚本を書いているときよりも、よい脚本ができることが多いのです。
「ごっこ遊び」は、やっている本人が楽しむのですが、人形劇の場合でも、演じている私たちが楽しいことが何より大切です。そのうえで、お客様にはどう見えるのか…考えながら、作っていきます。
新しく脚本を書く場合、ストーリーは、どのようにして生まれるのでしょうか。
あかぱんつの場合は、「こんな人形がこんなふうに動いたら、楽しいだろうな」というように、人形の構造と動きを思いついたときに、新しい作品ができる…ということが多いです。
あかぱんつの人気のキャラクター「みるくちゃん」の場合は、人形に表情があったら楽しいだろうなぁ…と考えてできました。
そのほかにも、人形の動きから作品ができることが多いです。
動きから作る…ということは、先ほどの「脚本なし」の話とも重なりますね。
それから、ドラマの設定から作品が生まれることも多いです。「野ねずみとお百姓さん」、「どろぼうとおまわりさん」など、登場しただけでそこに緊張がある…そういうキャラクターは、よい人形劇が生まれる母体のように思います。あかぱんつの場合は、そこになにかしら「ゆったりのんびり」した「ほのぼのキャラ」を加えることが多いです。一応「ワル」だけど、憎めないって感じですね。子どもたちは正義が好きなので、たいてい「善」「被害者」の方を応援してくれるのですが、たまには、どろぼうやねずみを応援する気持ちにもなるだろうと思っています。実際、そういう応援の声が聞こえることもあります。そういう子どもの気持ちにも対応できるように、「仲良くけんか」みたいな感じを加えるようにしています。
プロの脚本であるかどうかは、その脚本で子どもたちが喜んでくれるかどうか、その様子を見たお母様方や保育士様方が「この劇団の人形劇なら、また子どもたちに見せたいな」と思ってくださるかどうかで、決まると思います。

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と言っても、学者や評論家さんのように、大所高所から考えようというのではありません。私(あかぱんつのメンバー「ユクト」)が経験したり実践したり考えたりしていることを書いてみようと思います。
人形劇の脚本は、童話や昔話・絵本などから、台詞を書き出せばできるというわけにはいきません。また、元のお話そのものを読んで、それに合わせて人形が演技をする…というのも、私はちがうように思います。読むお話にはその魅力がありますから、まるでお話を読むように演じる人形劇というものも考えられるとは思いますし、それだって人形劇ではありますが、「よい人形劇」とは言えないと思います。
「よい人形劇」というのは、人形劇の楽しさが感じられるものだと思います。人形劇の楽しさは、ただ人形が出るだけではなく、人形が見ている人にとって魅力的に動くものだと思います。
ですから、もしも、元のお話を読んでそれに合わせて人形が演技するとしても、その演技が魅力的なものでないと「プロの人形劇」とは言えないのではないでしょうか。
人形劇も劇である以上、脚本がなければ始まりませんが、その脚本には、人形劇の楽しさが詰められている必要があります。
今「脚本がなければ始まらない」と書きましたが、実は、脚本なしで人形劇を始める方法もあるのではないか…と思うのです。
指人形などの人形を動かして遊ぶ「お人形さんごっこ」で、お互いに人形を動かし会話をしてその世界にひたることがあります。これも「人形劇(ごっこ)」だと言えます。
もしもその人形劇に、<お金を払ったお客様>に喜んでいただけるほどの魅力があったら、それは、立派にプロの人形劇です。
実は、あかぱんつでも、そんな風に「ごっこ」的な劇作りをすることがあります。すでに人形もあり、その人形のキャラも決まっていて、ストーリーも太いところが決まっている。でも、人形劇というのはストーリーだけではありませんから、人形の動きを工夫したりふくらませたりすることもありますし、場合によっては、人形の動きだけで全く新しい場面を作るというようなこともあります。動きを考えるのは、実際に人形を持って動かしながら考えるのが有効なので、パソコンに向かって脚本を書いているときよりも、よい脚本ができることが多いのです。
「ごっこ遊び」は、やっている本人が楽しむのですが、人形劇の場合でも、演じている私たちが楽しいことが何より大切です。そのうえで、お客様にはどう見えるのか…考えながら、作っていきます。
新しく脚本を書く場合、ストーリーは、どのようにして生まれるのでしょうか。
あかぱんつの場合は、「こんな人形がこんなふうに動いたら、楽しいだろうな」というように、人形の構造と動きを思いついたときに、新しい作品ができる…ということが多いです。
あかぱんつの人気のキャラクター「みるくちゃん」の場合は、人形に表情があったら楽しいだろうなぁ…と考えてできました。
そのほかにも、人形の動きから作品ができることが多いです。
動きから作る…ということは、先ほどの「脚本なし」の話とも重なりますね。
それから、ドラマの設定から作品が生まれることも多いです。「野ねずみとお百姓さん」、「どろぼうとおまわりさん」など、登場しただけでそこに緊張がある…そういうキャラクターは、よい人形劇が生まれる母体のように思います。あかぱんつの場合は、そこになにかしら「ゆったりのんびり」した「ほのぼのキャラ」を加えることが多いです。一応「ワル」だけど、憎めないって感じですね。子どもたちは正義が好きなので、たいてい「善」「被害者」の方を応援してくれるのですが、たまには、どろぼうやねずみを応援する気持ちにもなるだろうと思っています。実際、そういう応援の声が聞こえることもあります。そういう子どもの気持ちにも対応できるように、「仲良くけんか」みたいな感じを加えるようにしています。
プロの脚本であるかどうかは、その脚本で子どもたちが喜んでくれるかどうか、その様子を見たお母様方や保育士様方が「この劇団の人形劇なら、また子どもたちに見せたいな」と思ってくださるかどうかで、決まると思います。

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